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高松高等裁判所 昭和36年(く)27号 決定 1961年12月20日

少年 Y(昭一八・三・一生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、記録に綴つてある少年の法定代理人父○田○次作成名義の抗告申立書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、縷々述べているが要するに、本件少年の非行には強い悪性は認められず、その原因は性格の異常に基因するものと思われ、少年を精神医学及び心理学の立場から矯正することが先決問題であつて、ただ単に保護観察に失敗したからといつて直ちに少年院に送致するのは少年法の精神に副わないところであり、幸にして、機械工場を経営し天理教教師である少年の叔父○田○、右工場の共同経営者である天理教教師○水○三及び天理教本阪分教会長○山○○等において少年を保護育成しようと申し出ているのであるから、同人等に少年を委託して補導監督せしめることが最も適切妥当な措置であるに拘らず、少年を中等少年院に送致する旨の決定をした原裁判所の処分は著しく不当であるから取消を免れないというのである。

よつて、本件記録及び添附の少年調査記録を精査するに、少年の非行は既に小学校四年生の頃から始まり、昭和三十二年六月(中学三年生)における自転車等の窃盗事犯で同年七月三十一日徳島家庭裁判所において試験観察に処せられ(同年十二月二十六日不処分決定)、昭和三十三年四月九日には○○高等学校に入学し、同年八月頃から昭和三十四年九月頃までの間の数回に亘る窃盗や住居侵入のかどで同年十二月二十八日同裁判所において徳島保護観察所の保護観察に付され、これよりさきに同年五月二十二日には右窃盗事犯のため同高校を退学処分になり、更に昭和三十五年三月十七日頃にはオートバイや自転車等の窃盗を犯し同年六月四日同裁判所において試験観察に付され、その後天理教教師である少年の叔父○田○(父の実弟)の縁故で天理教修養科で精神教育を受けることとなり、大阪市生野区本阪分教会を経て天理市東本諸所において三ヶ月の修養生活を送り、昭和三十六年一月から再び本阪分教会において修養に勉め同年三月初め帰宅し、一応精神的な安定が得られたと認められ、かつ、前記の保護観察処分が係属中であつたため同年同月十三日同裁判所において不処分決定を受け、同年四月には○○高等学校への復校を許されて二年生に編入され勉学に励むようになり、本件非行に至るまでは少年の非行性癖は一応小康を保つていたことが認められるのである。

ところで、記録によつて認められる少年の非行の発現態様等から観察すると、その各非行の動機は、少年の本質的な社会成熟度の低さ、幼時の腫脹による左側頭部の禿頭も一原因をなす劣等感、強い自己顕示性及び家庭における真の親和感の欠如等に由来する欲求不満を主たる原因とすることが認められるのであつて、少年の非行の因子ともいうべき悪性は単に一時的なものではなくその矯正に相当な努力を必要とする性格が少年自身の内部に強く根ざしているというべきで所論のようにこれを軽視することは極めて危険であつて、寧ろ少年の保護者及びその関係者は一時の感情に捉われることなく少年の真の姿を直視して少年の現在及び将来における社会生活に適応する正常な人格形成のためにはいかなる措置を講ずることが最も適切であるかを冷静に判断することこそ最も緊要なことといわなければならない。そして、記録によると、従前の少年に対する各保護処分は所期の結果をもたらさなかつたというの外はなく、かつ、度重なる保護処分のため却つて少年に処分に対する安易感を印象づけたかに見えるのであつて、右の各事情から考えると、所論の○田○等に補導委託することが現在の少年に対する最も適切妥当な措置であるかどうかは甚だ疑問であるというべきである。

してみると、少年の前示非行歴、その悪性癖の根強いこと、本件犯行の動機、態様等その他記録に現われた諸般の情状を考慮すると、少年の反社会的な性格を矯正し堅実な社会生活に順応さすためには少年を一定期間少年院に収容して適正な矯正教育を施すことこそ最善の方策であると認められる。中等少年院においても所論の精神医学もしくは心理学等その他の専門的知識及び設備を充分活用して少年の適正な矯正教育にあたつていることはいうまでもなく、本件少年が中等少年院において矯正教育を施すには不適当な少年であるとは到底認められず、所論は中等少年院の性格を正解しない独自の見解である。されば、原審の決定は相当であつて本件抗告はその理由がない。

よつて、少年法第三三条第一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三野盛一 裁判官 木原繁季 裁判官 伊東正七郎)

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